【輸入盤】 Boccherini ボッケリーニ / ボッケリーニ・エディション(52CD) 【CD】:HMV&BOOKS online 1号店

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写真同じです商品説明知れば知るほど面白くなる作曲家ボッケリーニの廉価ボックスボッケリーニ・エディション(52CD)ラ・マニフィカ・コムニタ、他知れば知るほど面白くなるのがボッケリーニの音楽とその生涯。このセットでは52枚のCDに交響曲、チェロ協奏曲、室内楽、コンサート・アリア、スターバト・マーテルまで大量に収録。なお、当セットにはブックレットは付いておらず、トラックリストや演奏者、録音データは、それぞれの紙ジャケットに記されています。スペイン各地の宮殿で約15年間ボッケリーニのスペイン生活は37年に及び、うちドン・ルイス親王の宮廷勤めが15年ほど。ボッケリーニについてよく言われる「30年ものあいだ、追放された親王の僻地の宮廷で過ごし、世間と隔絶していたから独特の作風になった」という通説は、肝心の「モスケラ宮殿」が、新築工事の遅れと親王の死によって、実際にはボッケリーニが滞在可能だったのは1年8か月ほどでしかないため根拠が不明です。そしてスペインの王族の習わしで、ときには年に何度も居城を変えたりするため、残りの13年間はドン・ルイスや王家所有のスペイン各地の宮殿での生活ということになります。年俸は最初14,000レアル(約560万円相当)で、最後は30,000レアル(約1,200万円相当)まで増額。当時は年に2,000レアルあればなんとか暮らせたのでボッケリーニはかなり裕福でした。マドリードでの自由な暮らしドン・ルイスの没後からボッケリーニが世を去るまでの約20年間は、国王カルロス3世と後継ぎのカルロス4世から年間12,000レアル(約480万円相当)を受け取りながら、宮廷とはほぼ関係ない恵まれた環境で多くの作品を書いています。国王からの報酬は、42歳から62歳で亡くなった翌月まで支払われており、また、ナポレオンの弟、リュシアン・ボナパルト大使に雇われたときも3,000フラン(約480万円相当)が支払われていましたし、44歳で再婚したマリアの持参金は8万レアル(約3,200万円相当)と高額だったので、ボッケリーニについてよく言われる「貧困と失意のうちに亡くなった」という通説も、クラシックによくある作り話であることがわかります。リモートワークも収入源プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世との宮廷作曲家契約は、年に12曲送付で報酬1,000ターラー(約450万円相当)が貰えるリモート仕事で、パリの出版社、プレイエルなどとの関係もリモートでした。芸術家に寛大だったスペイン宮廷イタリア時代やウィーン時代のストレス&低報酬とは無縁の、まるで別世界のような寛大さが当時のスペイン宮廷でのボッケリーニの待遇でした。 同僚の画家フランシスコ・デ・ゴヤが1784年にモスケラ宮殿で親王家の人々や自分などを描いた有名な絵画「ドン・ルイス・デ・ボルボン親王の肖像」(248cm✕330cm)でのボッケリーニの顔もとても穏やかです。 収録情報▶トラックリストはページ下部◆ 交響曲(CD1~CD2)G515、G517、G518、G519、G520、G521、G522エルクスレーベン、新ベルリン室内管弦楽団(1992)収録された7曲の交響曲は、プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世のために1786年から1792年に作曲された作品。イタリア風序曲スタイルのG521から壮大なG522まで多彩な内容です。 指揮のミヒャエル・エルクスレーベンは、1960年ドレスデン生まれのドイツの指揮者でヴァイオリニスト。カプリッチョ・レーベルの録音。◆ チェロ協奏曲(CD3~CD5)G479、G480、G477、G482、G. deest、G478、G475、G483、G474、G573、G476、G481ブロンツィ、アカデミア・イ・フィラルモニチ・ディ・ヴェローナ(2005)ボッケリーニはチェロの名手で、まだ売り込み中だった若い頃にチェロ協奏曲書き始め、12曲が遺されています。超絶技巧を駆使してチェロの全音域を駆使、超高速パッセージのほか、弓使いの多様なバリエーションも必要とされ、珍しいオクターブの倍音に、弦を弾いたまま素早く開放弦に持ち替える奏法なども駆使。叙情的な部分では繊細な表現力も求められます。まだチェロが独奏楽器として認知されていない時代にこれだけの作品を書いたボッケリーニは若い頃から天才でした。 明るい音色の室内オーケストラをバックに、独奏チェロが颯爽としたテンポでカンタービレの極致を聴かせる見事な演奏。弾き振りのエンリコ・ブロンツィは、1973年パルマに生まれたチェリストで、室内楽で活躍しているだけあって、アンサンブルでの呼吸の良さも格別です。◆ 弦楽六重奏曲(CD6)G457、G454、G459、G456ザイラー、ユダ、ポッペン、ディッケル、レスター、ペニー(1991)収録された4曲は、1776年、マドリード西隣にあるボアディーヤ・デル・モンテのドン・ルイス宮殿で働いていた時期の作品。真新しい新古典主義様式の宮殿にふさわしい典雅で華やかな音楽。◆ オーボエ五重奏曲(CD7)G431、G432、G433、G434、G435、G436レンチェーシュ、パリジイ四重奏団(1992)1797年に作曲。オーボエの名手であったガスパール・バルリのために書かれたもので、パリのプレイエル社に作曲のことを伝えています。 演奏のラヨシュ・レンチェーシュは、シュトゥットガルト放送響の元首席オーボエ奏者。濃密な演奏が楽しめます。カプリッチョ・レーベルの録音。◆ ギター五重奏曲(CD8~CD9)G445、G447、G449、G450、G448「ファンダンゴ」、G446、G453「マドリードの帰営ラッパ」ロゼッリ、ラ・マニフィカ・コムニタ(2005)1798年に出版。ドン・ルイス亡き後、約11年に渡ってボッケリーニを支援したベナベンテ=オスナ公爵夫人は大のギター好きで自身も演奏。「ファンダンゴ」と「マドリードの帰営ラッパ」はボッケリーニ屈指の人気作。 演奏のエロス・ロゼッリはイタリアのギタリスト。ラ・マニフィカ・コムニタとの共演によるピリオド演奏です。◆ ピアノ五重奏曲(CD10~CD13)G407、G408、G409、G410、G411、G412、G413、G414、G415、G416、G417、G418グレゴレット、アンサンブル・クラヴィエーレ1797年と1797年にプレイエルから出版。プロヴァンスなどフランスの素材も用いたボッケリーニの新機軸。「フランス国民と共和国に捧ぐ」として大使のリュシアン・ボナパルト(ナポレオンの弟)に楽譜を送ったりしています。ヨーロッパ中が大変な時期だったのでボッケリーニも気を遣ったようです。 演奏のイラリオ・グレゴレットは、1805年シャンツ製のフォルテピアノを弾いてピリオド・アンサンブルのアンサンブル・クラヴィエーレと共演。◆ 弦楽五重奏曲(CD14~CD34)G265~G330(Op.10、Op.11、Op.13、Op.18、Op.20、Op.25、Op.27、Op.28、Op.29、Op.30、Op.31)、G337~G339(Op.39)ラ・マニフィカ・コムニタ(2004~2008)、イ・ヴィルトゥオージ・デッラ・ロトンダ(2013~2016/Op.29~Op.31)ボッケリーニの創作の中核を成すのが大量に遺され水準も高い弦楽五重奏曲。最も有名な「マドリードの夜警隊の行進」については2種類収録。よく知られた第1版に加えて、終曲「帰営」に変奏を加えて倍以上の規模に拡大した第2版が収められているのですが、この第2版はこれまでなぜか弦楽五重奏による録音が無かったので貴重です。 これまではドン・ルイス親王が追放されて奥地の城にずっと閉じ込められていたから楽員も少なくそれしか書けなかったように言われてきました。しかし、実際には追放ではなく国王カルロス3世の外国生まれの子どもになんとか王位継承権を与えるための無理な要求に対して、穏やかなドン・ルイスが応えていただけの話です。 そしてその奥地のモスケラ宮殿を利用していたのは、新築工事の関係で約1年8か月に過ぎません。ドン・ルイスがボッケリーニを雇っていた期間の残りの約13年間はいろいろな宮殿に滞在してたというのが真相で、これは当時のスペイン王家の年間行動スケジュールが、定期的に国内の宮殿を移り住んでいたことと関係があります。 楽員が少なかったのは、単にドン・ルイスが室内楽が好きだったからです。結果的にボッケリーニはドン・ルイスが亡くなった後、宮廷で働かずに国王カルロス3世と4世から約20年間も年金を支給され続けており、最後の支給は亡くなった翌月でした。 演奏の中心メンバーであるチェロのルイージ・プクセッドゥは、「ラ・マニフィカ・コムニタ」のメンバーとして、計51作品を録音していましたが、2012年にレーベルの体制が大きく変わったことでいったん中断。そして、4年後の2015年に、プクセッドゥが自ら結成したグループ「イル・ヴィルトゥオージ・デッラ・ロトンダ」での演奏によりシリーズを再開、18曲を録音しています。演奏は、活力、色彩とカンタービレの魅力にあふれたもので、ときに驚くほどのダイナミズムも交えながら、旧来の「穏やかな」ボッケリーニ像とは大きく異なるピリオド・アプローチを展開。◆ 弦楽四重奏曲(CD35)G195、G196、G197、G198、G199、G200アンサンブル・シンポジウム(2015)ボッケリーニは43年間に約90曲の弦楽四重奏曲を作曲していますが、ここでは1778年に作曲されたOp.26の6曲を収録。当時のボッケリーニは、マドリードの西隣に位置するカダルソ・デ・ロス・ヴィドロスにあるヴィリェナ宮殿で働いていました。 演奏のアンサンブル・シンポジウムは、イタリアの古楽器アンサンブル。ボッケリーニ独特の美しいラインを堪能させます。◆ フルート五重奏曲(CD36~CD38)G419~G436(Op.17、Op.19、Op.55)デ・トレス、フランシスコ・デ・ゴヤ弦楽四重奏団(2018)Op.17とOp.19が1773年のマドリード西隣のボアディーヤ・デル・モンテのドン・ルイス宮殿時代、Op.55は1797年のフリーランス時代の作品。のちのベートーヴェンを思わせるところもあってたのしめます。 演奏のラファエル・ルイベリス・デ・トレスとフランシスコ・デ・ゴヤ弦楽四重奏団はスペインの古楽アーティスト。セビリアのサン・ペドロ・デ・アルカンタラ教会の響きも最高です。◆ 弦楽三重奏曲(CD39)G92、G90、G93、G94ルボツキー・トリオ(2016)1769年に作曲。当時のボッケリーニは前年からルイジ・マレスカルキの主催するイタリア・オペラ巡業団の楽団員となってスペインに滞在しており、出演歌手のクレメンティーナと恋に落ちたり、カザノーヴァと出会ったりしながら夏には結婚し、さらに自作の協奏交響曲まで披露していた時期。 演奏のルボツキー・トリオは、ロシア生まれのベテラン奏者ルボツキー夫妻とスウェーデンのカタリナ・アンドレアソンで構成。2つのヴァイオリンとチェロのための変則的な編成の作品を引き締まった演奏で聴かせます。◆ ヴァイオリン・ソナタ(CD40~CD44)G25~G30、G46~G51、G52~G54、G20.1~6ルハーゼ、ネポムニャシチャヤ、ドスタレル=ラロンド、プリーエフ(2020~2021)ボッケリーニはチェロの名手で、作曲の面でもチェロの注目度が高くなっています。しかし音楽の需要という面では、弦楽器の花形がヴァイオリンというのは今も昔も同じであり、実際、若きボッケリーニが作曲家として最初にパリで大きな成功を収めたのもヴァイオリン・ソナタ集 Op.5でした。このOp.5は、ソナタ第1番の出だしがのちのベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番の開始に似ていたり、ソナタ第3番がどことなくベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番「春」を思わせるなど、表情豊かで美しい旋律の宝庫でもあり、後に曲集まるごと再出版したり、他の作品に素材を転用したりと、ボッケリーニ自身のお気に入りでもあったようです。 演奏は長くオランダやドイツを拠点としてきたロシアの古楽演奏家らによるものです。◆ …

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