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男爵、肥前大村藩主(分家)。11代藩主・大村純顕の二男。家族:養子、大村純久明一八、一生、男爵島津壯之助弟、従五位。君は舊肥前大村藩主大村純顕の二男にして嘉永二年八月九日を以て生る夙に王の大志を懷き維新の際、國事に奔走して功あり。明治四十二年十二月特旨を以て華族に列し男爵を授けられ養甥伯爵大村純雄の家より分れて一家を創立す。長男大村純英(明五、一生)は養甥大村純雄の養子となり孫大村純之(大二、四生、養子大村純久長男)は家にあり。
◆左:大村市長「大村純毅」
大村武純の孫。日本の昭和時代の華族、陸軍軍人、政治家(大村市長)。大村家第27代当主。父大村純英が陸軍軍人として赴任中の静岡県静岡市で誕生、ほどなく東京へ移る。学習院中等科より陸軍中央幼年学校へ入り、1924年(大正13年)7月に陸軍士官学校本科卒業(第36期)。同年10月に砲兵少尉任官。以後、砲兵部隊中心に軍歴を重ねる。1933年(昭和8年)6月、父の死没に伴い伯爵を襲爵。終戦後、1945年(昭和20年)12月1日に予備役編入(砲兵中佐)。1946年(昭和21年)大村に移住。翌1947年(昭和22年)に空襲で焼け残った蔵書を大村市に寄贈する。同年10月に大村市立図書館が開館する際の蔵書の母体の一つとなった。この間、1949年(昭和24年)には当時逃亡中だった陸軍士官学校同期生の辻政信を一時庇護したことがある。1952年(昭和27年)12月、大村市長選に出馬し当選。以後4期16年間市長を務めた。1968年(昭和43年)12月、4期目の任期満了に伴い市長を退任。1974年4月17日、胃がんのため死去した(71歳)。死没直前の同年3月11日、大村市名誉市民受賞が贈られた。正四位、勲三等旭日中綬章。
◆肥前大村氏
明治42年(1909年)には大村家の嫡流として生まれながら諸般の事情で家督できなかった大村武純(大村純顕三男)が大村伯爵家の分家華族として男爵に叙せられた。大村武純男爵の子である大村純英が大村純雄伯爵の養子に入って大村伯爵家を継いだ。彼は陸軍軍人として少将まで昇進し、日清日露で戦功をあげた。昭和前期に大村伯爵家の邸宅は東京市品川区上大崎にあった。武家・華族だった日本の氏族。戦国時代に肥前国彼杵郡を本拠とした戦国大名だった。江戸時代には肥前大村藩主となり、戊辰戦争で官軍として奮戦。維新後は華族となり当初子爵家だったが、後に維新の功により伯爵家に陞爵した。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで東軍に付いて徳川家康より所領安堵され、彼杵郡2万7972石の大村藩主家として明治の廃藩置県まで続いた。しかし1605年(慶長10年)に長崎が幕府直轄領にされ、代地の浦上と引き換えに長崎の外町と属邑を幕府に引き渡すことになった。南蛮貿易で大きな収入を得てきた大村氏にとっては大きな収入減となった。幕末、最後の藩主大村純熈は長崎奉行に任じられ、長崎警固のため洋式軍制への軍制改革を押し進め、その変化の流れの中で藩内抗争が激しくなり、尊皇攘夷派が藩政を掌握し、薩長両藩と連合して討幕運動に参加した。明治元年(1868年)の戊辰戦争ではいち早く官軍に参加して大きな戦功をあげ、純熈は小諸侯としては破格の賞典禄3万石を下賜された。その後純熈は明治2年(1869年)の版籍奉還で大村藩知事に転じるとともに華族に列し、明治4年(1871年)の廃藩置県まで藩知事を務めた。明治17年(1884年)の華族令施行により華族が五爵制になると、当時の当主純雄は旧小藩知事として子爵に叙された。さらに1891年(明治24年)に大村純熈の維新の功により伯爵に陞爵した。大村純雄は貴族院の伯爵議員に当選して務めた。
◆陸軍少将「大村純英」
(大村武純の子、大村純毅の父)
明治時代から昭和時代初期の華族、陸軍軍人(陸軍少将)。従四位、伯爵。夫人は真田幸民の娘・田鶴子。大村武純(大村藩11代藩主大村純顕三男、男爵)の長男として生まれ、大村純雄の養子となった。純雄は純顕の弟で12代藩主であった大村純煕の婿養子であり、純雄の夫人と純英の父が従兄妹という関係になる。なお、武純の男爵家は純英の妹・常子の婿で、純雄と同じく島津家出身(共に純雄のまたいとこにあたる島津珍彦と夫人典子の次男)の大村純久が継いだ。純英は1894年(明治27年)に陸軍士官学校(5期)を卒業し、1918年(大正7年)7月に大佐となり、大村にあった歩兵第46連隊の連隊長となった。1923年(大正12年)8月、陸軍少将に昇進し、歩兵第23旅団長を1年間務めた。1924年(大正13年)8月に予備役編入された。1927年(昭和2年)10月、養父純雄の隠居により襲爵したが、養父より1年前に死去している。墓所は青山墓地。家督は子の大村純毅が継いだ。
◆第11代藩主「大村純顕」
(大村武純の父)
肥前国大村藩の第11代藩主。文政5年(1822年)11月5日、第10代藩主・大村純昌の4男として玖島城で生まれた。天保7年(1836年)11月23日、父の隠居で家督を継いだ。藩を挙げて職制改革・知行制改革、商業流通統制など、様々な藩政改革を行なっていたが、病気を理由に弘化3年(1846年12月に隠居し、翌弘化4年(1847年)2月21日に同母弟で養子の純熈に家督を相続させた。同年3月5日、純顕は病を理由に幕府に帰郷を願い、7日に許可が下りたため15日に江戸を出発して、翌月27日に大村に到着、隠居生活に入った。明治15年(1882年)1月に純熈が死去し、4月2日に純顕も死去した。享年61。