【中古】 Furtwangler / Bpo: Rrg Archive 1939-1945 【SACD】:HMV&BOOKS online 1号店

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写真同じです商品説明(こちらは新品の商品説明となります。参考として下さいませ。中古商品にはサイト上に記載がある場合でも、封入/外付け特典は付属いたしません。)フルトヴェングラー 帝国放送アーカイヴ 1939-45第2次世界大戦中のフルトヴェングラーは、53歳から59歳までという時期にあたり、スキーで飛ばし過ぎて大怪我するなどまだまだ体力も十分にあっただけに、その指揮ぶりはどれも絶好調。加えて、録音の多くをハンス・ロスバウトに見い出されたエンジニア、フリードリヒ・シュナップ(帝国放送局の下の画像の手前の人物)がおこなっており、年代の割に音質が良いものが多いのもポイントとなっています。また、フルトヴェングラーが唯一、師と仰いだ音楽学者ハインリヒ・シェンカーの美学も十分に消化吸収したのもこの時期のことと考えられ、当時ならではの持続的集中力と十分な統率力によって、見事な演奏が実現されています。そのスタイルは、素材レベルで互いに影響しあう音楽というシェンカーの考え方の魅力をフルに引き出した演奏といった感じで、彫琢が深いのに柔軟でしなやか、内蔵するエネルギー・レヴェルの高さと爆発的な放射など、さまざまなことが一体感のある造形の中で完成されているのが特徴的です。 収録曲目を見る【販売元情報】帰って来たフルトヴェングラー70年の時を経て蘇るベルリン・フィル本来の響き!「フルトヴェングラー 帝国放送局(RRG)アーカイヴ 1939-45」● 戦時中(1939~45年)にドイツ帝国放送が収録したベルリン・フィルとフルトヴェングラーによる放送録音を集成したエディション。● 嬉しいことに、初出音源も収録!(ラヴェル:『ダフニスとクロエ』第1組曲(抜粋)、シューベルト:交響曲『未完成』第2楽章)● ドイツ帝国放送のテープ音源としては、今現在の最高技術をもってサンプリング(28bit/96kHz)を行い、ベルリン・フィルが自ら手掛ける戦時のフルトヴェングラー最高音質の登場。● 当時の演奏を再現できる最良の音源を選択。現存するドイツ帝国放送テープをすべて網羅し、オリジナル・テープを基本に、最高の条件でセット化。● 22枚組SACDハイブリット盤。この度リリースされる「フルトヴェングラー 帝国放送局(RRG)アーカイヴ 1939~45」。当セットは、戦時中に(1939~45年)ドイツ帝国放送が収録したベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とヴィルヘルム・フルトヴェングラー[1886-1954]による放送録音を集成したエディションです。戦時下の激動の時代にあっても、自らの芸術活動に命を懸けたフルトヴェングラー。指揮者フルトヴェングラーの中で戦時中の演奏は最も重要なものです。戦時中のベルリン・フィル&フルトヴェングラーの現存する演奏をすべて網羅し、過去最高の品質で蘇らせた当セットは、これまでのあらゆる盤を凌駕する決定盤と言えるでしょう。また、戦時のフルトヴェングラーの録音を語る上で欠かせないのが「テープの遍歴」についてです。ソ連軍はベルリン占領後、ドイツ帝国放送にあったおよそ1500本のテープを戦利品として押収。そのテープをもとにモスクワ放送の番組に使用したり、露メロディア・レーベルからLPを発売したりと利用されてきました。しかし1987年にはオリジナル・テープのコピー20本が、さらに1991年には押収した原テープが自由ベルリン放送(SFB)へ返還され、今日までベルリン・ブランデンブルク放送(RBB、旧SFB)のアーカイヴに保存されていました。今回、当セットで使用されている音源のほとんどは、1987年と1991年に返還されたテープをベルリン・フィルが新たに28bit/96kHzでサンプリングしたもの。担当したトーンマイスターによると、これらのテープは30年という時間がたっているにも関わらず、非常に良い状態でサンプリングすることができたと言います。また、以前から多くのCDで問題にされていたピッチについても、当時の正しい音程、速度を基準としてサンプリングを行っています。残念ながら演奏会記録が残っているのに欠けているプログラムについては、テープがすでに消失した可能性がきわめて高く、当セットに収録されている音源が、現存する戦時のベルリン・フィルとフルトヴェングラーの演奏のすべてだと考えられています。仕様は、最高音質でのサンプリングを活かすべく、SACDハイブリット盤でのリリースとなります。解説書は、ソ連軍による戦後の押収からコピーの返還、マスター・テープの発見に至るまで、この録音をめぐる歴史について書かれた興味深い内容となっています。日本語訳付き。(以上、キングインターナショナル)。フルトヴェングラー関連注目商品 戦後フルトヴェングラー&ベルリン・フィル定期演奏会のベートーヴェン(6CD) フルトヴェングラー&ウィーン・フィル大注目の『田園』【黄金時代のフルトヴェングラー】フルトヴェングラーの演奏記録を見ていると、1924年のハイパーインフレ収拾前後から1930年頃までは、ストラヴィンスキーの『春の祭典』やミヤスコフスキーの7番、マーラーの1・3・4番といったモダンな作品もけっこう指揮しており、1931年に世界大恐慌の影響が深刻になるとともに、レパートリーが保守的なもの(チケット売上の良いもの)にシフトしていることがわかります。そして1934年には、財政難の続いていたベルリン・フィルが、政府からの支援を受けて、実質的に国営のオーケストラに転身。これにより無茶な副業の掛け持ちなどが無くなって演奏水準が向上、国営オーケストラということで、海外ツアーなども楽におこなえるようになって収益力も上がり、また徴兵免除という特典が付いたのも朗報でした。フルトヴェングラー自身の待遇も上がり、1934年には公演1回ごとに1,000マルクの報酬(ベテラン楽員の月給約2か月分)となり、1937年には2,000マルク、翌年には場合によってその倍近くにまで到達、1939年の年収は20万マルク超えという凄いことになっていました(当時のドイツは米英仏日のような通貨切り下げは実施していません)。そうした金銭的に恵まれた背景もあって、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの戦時中の演奏は、とても非常時とは思えない充実したものとなっているのではないかとも考えられます。ちなみに連合国軍によるベルリン空爆は、1943年8月に本格化、翌年3月までに民間人死者約9,400人という凄惨な殺戮をおこなっていますが、フルトヴェングラーとベルリン・フィルは、危険な環境下でもチケット争奪を繰り広げる市民の期待に応えるべく勇敢に演奏していました。これは凄いことだと思います。なお、当時のマルクを現在の価値に置きかえるのは、経済や流通の違いもあって難しいのですが、大雑把に見れば1マルク=800~1,000円前後と考えられます。【人間フルトヴェングラー】ヘルシー志向フルトヴェングラーはヘルシー志向で、ヨーグルトやミューズリー(健康志向のドイツ式シリアル)を好み、公演前の食事も卵2個にライスと果物といった感じで、ときには本番直前に生卵をすすったりもしていたものの、基本的には軽めで、長いオペラの場合には、休憩中にサンドイッチやナッツ、果物、そして果物のジュースを摂取するようにしていたということです。そうした健康に配慮した食生活を効果的に維持するためか、フルトヴェングラーは、コーヒー、タバコ、アルコールは控えてもいました。感情爆発フルトヴェングラーといえば、ときに引き起こす感情の爆発でも有名でした。女性秘書のベルタ・ガイスマールに重い灰皿を投げつけたり、プロデューサーのウォルター・レッグのいる現場で爆発してレッグを精神的に追い詰めたり、ウィーン・フィルのリハーサルで譜面台を荒っぽく倒して出て行ったり、何度電話しても相手が出ないと怒り狂ってこぶしで窓を叩き割って自分が怪我をしたりといったことが伝えられています。口元の傷跡も、少年時代に家政婦に本を取り上げられたことに怒り狂ってガラス製のドアに激突して大怪我をしたときのものということなので、なんというか筋金入りです。また、子供たちとゲームをする際にも、60歳を過ぎても自分が負けると大声で怒鳴り、ドアを叩きつけるように閉めて出ていくのが常だったとも言います。これらのことは、相手が誰であっても、自分の自尊心を傷つける者は許さないというフルトヴェングラーの基本姿勢を示していますし、もしかしたらそうしたことが、フルトヴェングラーの音楽解釈の闘争的な面を魅力的にしているのかもしれません。ちなみに父アドルフも感情爆発型だったということで、自分にとって気に食わないことがあると、食事を叩きつけたりすることもあったようで、フルトヴェングラーの粗暴なふるまいへの影響も大きかったものと考えられます。コミュニケーションが苦手フルトヴェングラーは生涯に渡って、家族と、家族同様の人々以外には、「du」という言葉で呼ばれることを嫌悪していたようです。家族と、家族同様の人々以外の場合は、どんなに親しい場合でも「du」という呼びかけはせず、たとえば若い頃から親しかった秘書のベルタ・ガイスマールに対しても「du」は絶対に使わなかったといいます。要因としては、両親が長男のフルトヴェングラーに対しては自由を尊重、周囲の人間に配慮するというような、通常の意味での躾や会話の方法を教えていなかったことが考えられます。加えて、父アドルフは気弱で時折感情が爆発、母アーデルハイトは、顔の右半分の麻痺のため、常に超然としているように見えるなど、少年フルトヴェングラーにとっては、普通のコミュニケーションを学ぶのが難しい家庭環境だったことも影響していたようです。結果として、家族(と、家族同様の人々)以外の人間が、フルトヴェングラーに対してコミュニケーションを持とうとすると苦労することも多かったようです。スピード大好きフルトヴェングラーはスピードが出るものを好んでおり、「自動車」「スキー」「スケート」「乗馬」などに熱中していたほか、若い頃には自転車で山を越えてイタリアまで出かけるなどといったこともしていました。フルトヴェングラーのこうしたスピード志向が、ブルックナーの8番やベートーヴェンの9番のエンディングでの突撃ぶりや、モーツァルトでの疾走感などといった独特の解釈を生み出した可能性もありますし、それが生き生きと揺れ動くフルトヴェングラーならではの音楽の魅力の源泉となっているのかもしれません。ちなみにフルトヴェングラーは「自動車」の運転は好きでしたが、あまり上手くはなかったようで、路面電車に追突する事故を起こしたり、R.シュトラウスを助手席に乗せて走っていた時に、ホテルに駐車中の車に衝突して、その車を破壊してしまったりと豪快なエピソードも伝えられています。また、1954年、亡くなる直前には、体調が悪くなったために自分で車を運転して病院まで行くなど、技術はともかく、性根の座ったドライバーであったことは確かなようです。フルトヴェングラーの「スキー」の腕前はプロ級だったといいますし、1941年春には、ザンクト・アントンのスキー場で飛ばし過ぎて転倒、腕の神経にも影響が出るほどの重傷を負い、8か月もリハビリに要したこともあったほどでした。若い頃には「スケート」も好んでいましたが、ある時、氷が割れて湖に落ちた友人を助けようとして、フルトヴェングラー自身も転落、漁師に命を助けてもらった事故の後は、あまりやらなくなってしまったようです。一方で、スピードの出るスポーツの花形でもある「乗馬」に関しては、晩年までおこなっており、達者な馬術を披露してもいたようです。艶福家…

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