★Sevres(cit de la cramique)★ フランスが誇るセーブル窯はポンパドール婦人の助力もあって、王立窯として発展を遂げました。1759年、王立セーブル製陶所となり、今もフランスの文化と美を伝える優れた陶磁器を生み出し続ける国立セーブル製陶所の歴史はここに始まります。セーブルの功績は、国家的使命ともいえるフランス独自の意匠を確立し、完成度の高い芸術作品を作り続けてきたことにあります。18世紀、セーブルは東洋芸術の様式をうけつぎながらも、当代一流の化学者、画家、彫刻家、金工家の参加によって独自の世界を創造しました。「王者の青」「ローズ・ポンパドール」と呼ばれるセーブルの色、華美で鮮麗な装飾、独特の風合を持つソフトペーストなど、他の追随を許さないセーブル芸術が、宮廷文化の中に華開いたのです。盛名を馳せたセーブルも、国窯という背景から生産は非常に限定され、世の人々の目に触れることは少なく、「希少な陶磁器」と呼ばれました。今日に至っても、生産量は年間約6000ピースと限定され、そのほとんどがフランス国家のために作られます。この少量生産は、「最高の作品を作り出す」ための必然であり、その稀少性ゆえに、誇り高きセーブルの名声は一段と高まっています。
★フランス国立セーブル陶磁器製作所工房作品詳細★
ブランド(原産国)
【セーブル・SEVRES】フランス
作品名(パターン)
Diane a la Biche(狩猟の女神・ディアンヌと雌鹿)
制作年度
2001年 Dominique Combot(ドミニック コンボ)
作品サイズ
直径:12cm,厚さ:1.3cm
額サイズ
高さ:29cm,幅:29cm
特記事項(1)
※店頭に展示していた為、額装に若干のキズがある場合があります。
特記事項(2)
画像と実際の作品の色合い及び風合いは微妙に異なります。
ギフト包装
対応できません。
参考上代(定価)
オープンプライス
作品説明
クリエーター:Dominique Combot(ドミニック コンボ)
フランス国立セーブル陶磁器製作所工房で創作活動をするビスキュイ作家、陶芸家。
ビスケット・浅浮き彫りメダイヨン
【素材:PN(ヌーベルペースト)1882~1884年にセーブル工房で改良認可された素材】
作品にはセーブル工房のロゴと制作年度が刻印され、作家のサインが彫り込まれています。
この素焼き白色磁器(ビスキュイまたはビスケット)は、十八世紀から続く成型・修復作業アトリエで制作されました。ここではセーブル陶磁器製作所工房独特の白色磁器や彫刻類(丸彫り、浅浮き彫り)、「セーブルのビスケット」という名称の意図的に釉薬をかけない白色磁器の作品が1751年から制作されています。
オリンパスの3人の女神の一人でアポロンとは双子姉妹、またゼウスとレトの娘であるディアンヌをモデルにしている。彼女は野生動物の女王といわれ女性としては特異な役柄である狩猟の神様とされていた。よき密猟監視人の彼女は鹿やかえりのヒナを守り、皆に幼き生命の保護神ともよばれた。太陽の神とされたアポロン、月の神とされたアルテミス、そして彼女はフェベ又はセレネ(ラテン語でルナ)と呼ばれた。全ての野生動物、特に鹿と糸杉は彼女のシンボルである。
1780年代初め、ルイ16世は手に入れたばかりのランブイエの領地に、ヴェルサイユのプチ・トリアノンの農家集落を参考にした酪農場を作ろうとした。建築家ジャック-ジャン・テヴナンは公園に入口となる二つのパヴィヨンを作り上げた。丸天井の円形の部屋は自然主義的な構成で洞穴のように延びており、1787年ピエール・ジュリアンによって製作された「ヤギの姿をしたニンフ(アマルテ)」を覆っている。使用されるその時までロカイユ様式を断っており、雰囲気はエトルリヤの影響を受けていた。
セーブル工房において、ラグルネ・ル・ジュンヌはパヴィヨンの玄関を飾るための、古代様式をモチーフにした様々なオブジェのデザインを担当しており、また酪農場の装飾スケッチも担当しており、それは中心テーマ(多産のシンボルで、この注文は王太子の誕生と一致している)を成していた。ナーイアス、またはゼウスの乳母でもあるアマルテは一般的にヤギの姿をして表されており、その角の一つは豊饒の角を作る役割をしていた。彼女は、彼女の子ヤギ達と共に星座の列に加えられている。
セーブル工房の古文書館は、女王の酪農場の作品リストを保存している。これらの作品は金を使わないことによって特徴付けられていた。それらは、カップやお椀、それからミルクを入れる為のバケツやチーズを作るために牛乳から水分を除く為のバケツなど、全てセーブル工房の陶磁器で、いくつかの作品は木をまねた絵が描かれている。ネオクラシック様式のものは全て1777年から1780年の間に引き渡された。
しかしながら、ランブイエの酪農場に近づけようとすることは文体論で、いかなるナヴェットも、酪農場へ向けた配送リストには載っていない。おそらく、古文書の書類に「Vestaに使える処女」と題された浅浮き彫りがそれらなのだろう。ナヴェットの表現は、おそらく横長の織機のナヴェット(杼)に類似しているこれら浅浮き彫りの形から用いられたのだろう。青色と白色のいくつかの作品は、ロシアに向けて輸出された書き物机の中にあり、現在エルミタージュ美術館のコレクションの一部になっているものに倣って作り上げられた。セーブル工房の古文書館は、この作品の型見本を保存している。
書籍:ゼック・ローラ「1798年から99年に、サンクト・ペテルスブルグのサン・ミッシェル城のためにポレールによって購入されたフランスの家具調度の青銅製品」 出典:セーブル国立工房の古文書館書類と基本データによる
セーブル工房の「ビスケット」という呼び方は、1751年以来の模様も釉薬もないセーブル工房の陶磁器彫刻のことを指す。この呼び名は白い大理石の無垢な冷ややかさを喚起させると同時に、マイセンの彩色された彫刻作品と区別する為に積極的に取り入れられました。
☆Pate dure nouvelle(ou P.N)☆
ヌーベルペースト(新硬質磁器 P.N):基本素材はカオリン、長石、水晶(これらの素材は1882~1884年にセーブル工房で開発された)で、PNはこれらの素材を1280℃~1300℃で焼く。
★Sevres(cit de la cramique)★
フランスが誇るセーブル窯はポンパドール婦人の助力もあって、王立窯として発展を遂げました。1759年、王立セーブル製陶所となり、今もフランスの文化と美を伝える優れた陶磁器を生み出し続ける国立セーブル製陶所の歴史はここに始まります。セーブルの功績は、国家的使命ともいえるフランス独自の意匠を確立し、完成度の高い芸術作品を作り続けてきたことにあります。18世紀、セーブルは東洋芸術の様式をうけつぎながらも、当代一流の化学者、画家、彫刻家、金工家の参加によって独自の世界を創造しました。「王者の青」「ローズ・ポンパドール」と呼ばれるセーブルの色、華美で鮮麗な装飾、独特の風合を持つソフトペーストなど、他の追随を許さないセーブル芸術が、宮廷文化の中に華開いたのです。盛名を馳せたセーブルも、国窯という背景から生産は非常に限定され、世の人々の目に触れることは少なく、「希少な陶磁器」と呼ばれました。今日に至っても、生産量は年間約6000ピースと限定され、そのほとんどがフランス国家のために作られます。この少量生産は、「最高の作品を作り出す」ための必然であり、その稀少性ゆえに、誇り高きセーブルの名声は一段と高まっています。